「さて、前回の続きを始めますよ。橘諸兄が政権を担うようになったと前回言いましたよね」
「ああ、言ってたな。これからは、聖武天皇と共に橘諸兄が政権を担うんだろう」
「少し違いますね。聖武天皇は政治に興味がなく。私は政治が分からんから。後、(*´∀`*)ノってな感じで橘諸兄に丸投げします」
「マジかよ!」
「政権が橘諸兄によって動かされていく中。藤原氏の凋落に焦った。藤原四兄弟、藤原宇合(うまかい)の息子、藤原広嗣(ひろつぐ)は、橘諸兄が政権を担うことが赦せず。あの手この手で批難すると。うっさいわ、という理由から九州へと左遷されてしまいます」
「まぁ、五月蠅かったんだろうな」
「藤原広嗣は左遷されても怒りが収まることなく。怒りのまま上奏文を書き連ねます。「拝啓、聖武天皇とクソ野郎、あっ、間違えました橘諸兄様。お元気でしょうか。私は橘諸兄に左遷されましたが元気です。……それはそうと。近年、天災が多く生じています。私が知るところ、天の災害は天子の不徳から生じるとされています。しかしながら聖武天皇は希代の名君であり、その名君を歪ませるモノが側近にいるために。このように天災が続いていると推察されます。何も橘諸兄がカスで不徳でロクデナシの無能と言っているのではありません(そのとおりだよ!)。橘諸兄に仕えている。吉備真備と玄坊の不徳によって、このような天災が続いているのです。即刻、あの二人を解任するべきです。PS 橘諸兄ぇ、覚えてろよ!」ってな感じで上奏文を出したら。橘諸兄は「謀反ですね。処しましょう。即刻、処刑しましょう」と上奏文を握りつぶし。聖武天皇は「とりま、此処に広嗣を呼ぼ。そんな怒んないで(‘ω’)」となりました」
「広嗣。めっちゃ、恨みつらみ籠もってんじゃん」
「朝廷に顔出せと勅令が下ると。藤原広嗣はその回答に呆れ。太宰府にて兵を集い。決起を起こします」
「決起するって言っても、大義もねぇんだから。精々、数百程度しか集まらねぇだろう」
「いいえ、もっと多くの人々が集まりました。……決起に集った。その数、一万とされています」
「私怨で、一万も集ったのかよ!」
「この頃、朝鮮半島の新羅から人や物の略奪、侵攻が多く。その襲撃にすぐさま対応できるように軍制が整えられていまして。……其の整えた人物が広嗣の亡き父、宇合であったのです。良くも悪くも、その権限が息子に受け継がれてしまい。兵が疑問を口にする暇もないままま徴兵されました」
「噛み合っちまったのか」
「朝廷の軍は、広嗣は天皇の命に背いているとビラを撒き散き。広嗣の軍に動揺を生じさせます。そして、決戦の間際、広嗣が軍の前に出て弁明します。「私は朝廷と戦う気はない。吉備真備と玄坊を取り除きたいだけだ」と言うと。「なら、何故、勅符(弁明書)を使わず。軍を用いたのだ」と返され。広嗣は何も返せず。其処で初めて、広嗣に集った兵が大義がないと分かり。続々と投降を行った結果。軍が崩壊します」
「本当に何もわかんねぇまま徴兵されたんだな」
「藤原広嗣は捕らえられて処刑となりました」
「で、聖武天皇は平城京で討伐の報告を聞いたんだな」
「いいえ。この頃の聖武天皇は遷都ツアーを行っており。広嗣が捕獲されても。「あっ、そう? (‘_’)」 ってな感じで。興味なさげに聞き流し。次なる遷都する都を探していました」
「良いのか、それで良いのか、聖武天皇!」
「そして、恭仁の地を気に入り。ここをキャンプ地とすると言って。恭仁京(くにきょう)を建造します。五千を超える人員を動員し。平城京のいた貴族を根こそぎ持ってきて。恭仁京を新たな都と定めました」
「まぁ、何にせよ、恭仁京が新たな都になるんだな」
「……と、誰もが思った矢先。なんか違うなぁ。ってな感じで聖武天皇が首を傾げ。恭仁京の造営を中止し。かつて孝徳天皇(11話登場)の都であった難波宮(なにわのみや)へと遷都します。この難波宮は火災により消失していたため再建という形で再び建造が始まりました」
「孝徳天皇か、懐かしいな。バーサーカー(天智天皇)に振り回された人物だったか」
「難波宮の再建が殆ど終わり。元正上皇(上皇とは天皇が譲位した後に呼ばれる称号、正式には太上天皇と言う)も難波宮に入ると。聖武天皇は(‘_’)……なんか違うよねぇ、と言い始め。紫香楽の離宮。紫香楽宮(しがらきみや)へと放浪し。紫香楽宮をもっと大きく創ろうと言い始めました。この定まらない態度にブチ切れた元正上皇が、「もう難波宮が皇都や! あの馬鹿にそう伝えとけ!」と橘諸兄に言うと。橘諸兄は難波宮が皇都であると宣言し。都が定まりかけますが……」
「定まりかけますが、どうしたんだ?」
「聖武天皇の滞在する紫香楽宮で不審火が相次ぎ。……不安に思った聖武天皇が官僚や僧に、都は何処が適してると思うかな? (‘ω’) って聞くと、皆が一様に「「平城京に決まっているやろが、ぼけぇ!」」と言われ。シュンとなって、745年に平城京へ戻ってきます。こうして、長かった放浪の旅も終わります」
「周りも大変だな。っうか、なんで其処まで都を転々としたんだよ」
「色んな説がありますけど。一番の説は、藤原四兄弟の死によって。聖武天皇の妻である光明子の後ろ盾がなくなり。少しでも藤原氏が再興できる都へ移動したかったと言われていますね。どの都にも藤原仲麻呂(ふじわらなかまろ)と呼ばれる次代で頭角を現す人物が付き添っており。次なる藤原氏の為の都を求めていたのでしょう」
「そんな理由かよ」
「因みに、遷都の最中にて、741年に国分寺建立の詔を出し。諸国に国分寺(僧の寺)。国分尼寺(尼の寺)を建造しています。また、翌年の742年に紫香楽宮では大仏建造の詔を出していますね。まぁ、こんな感じに遷都と寺院、大仏造りを奔走した結果」
「民から信頼がなくなったのか」
「財政破綻しかけます」
「民の信頼以前の問題じゃねぇか!」
「膨大なる散財に、これまでの律令の運営では補えなくなってしまいました。政権を委ねられていた橘諸兄は急遽、財政の立て直しが求められ。743年、墾田永年私財の法(こんでんえいねんしざいのほう)を成立させます」
「墾田永年私財の法って何なんだ?」
「開墾した土地は自分の物になるという法令ですね」
「……んっ? いいのか其れ。確か、律令国家って、公地公民制が原則だろう。それなのに個人の土地支配を認めて」
「よくはありませんが。律令の根本を揺るがす、法令を出すまでに、聖武天皇の散財によって国が傾いてしまったのです」
「まぁ、でも、考え方によっちゃいいかもな。これで、農民でも自分の土地を持てるようになるだからな」
「残念ながら。この法令には色々と制限がありましてね。国が造った用水路を使えば開墾した土地は没収されるため。一から水路を引く必要がありました。水路を造るには、膨大な人員を動員する必要があり。とても農民が数名集まって出来る事業ではありませんでした。また、国司に届出する必要もあり。財力と知識。そして安定した労働力を保持して。初めて土地が持てる。そんな法令だったのです」
「税に追われ。生きるか死ぬかの農民にはとてもできそうにないな。結局のところ、貴族が私有地を得るための法令だったってことか」
「貴族、そして人を保護していた寺院が土地を独占することも考量しており。貴族や寺院には所持できる土地の制限が掛けられました。ですが、取り締まるモノがいないため。直ぐに有名無実となってしまい。貴族や寺院は制限を超え。土地を所持し始め。後に荘園と呼ばれるようになっていきます。まぁ、詳しい話は平安時代にしましょうか」
「いつの時代も、法は権力を持つ奴の味方ってことか」
「そういう事です。さて、知っての通り、聖武天皇が仏教にのめり込んでおり。実質的な政務は橘諸兄と前天皇である元正上皇が行っていました。そんな中、元正上皇が崩御し。今まで大人しくしていた聖武天皇の妻、光明子が遂に動き始めます。……次回、光明子の希望の星。藤原仲麻呂の台頭。おったのしみにぃ」