「はい、おっぱぴぃ。前回は、藤原不比等が大宝律令を制定した所まで語りましたよね。今回はその続きですよ」
「へいへい」
「大宝律令の制定によって。二官八省一台五衛府(にかんはっしょう、いちだいごえふ)と呼ばれる行政組織が整備されていきます」
「二官八省うんたらかんたら? なんじゃそりゃ」
「図で表すならこうなりますね。……図を見ればわかると思いますが、二官は神祇官(しんぎかん)と太政官(だじょうかん)に分かれていまして。太政官の下に八省が繋がる形になっています」
「ややこしい形だな。つうか、太政官の下には八省があるのに。神祇官の下には省が一つもねぇのか」
「神祇官は祭祀を司る役職となっていまして。神事を政治同様に重視する意味合いを込めて太政官と同列の扱いにしています。……まぁ、裏を言うなら神祇官は代々、中臣氏が任命されておりまして。二官八省を制定した藤原不比等が、元々の氏である中臣氏を政治の中心に持っていきたかったと言う面も存在しています」
「要するに、政治的意図があったんだな」
「そういう事です。さて、次は地方の話に移ります。地方においては畿内七道に分けられ。国司、郡司、里長が置かれます」
「国司、郡司、里長ってなんだ?」
「国司は地方を治めるために中央から派遣された貴族で。郡司はかつて国造(くにのみやつこ)と呼ばれた地方の有力者です。そして、里長は村長みたいなものですね」
「ほうほう」
「ちょと詳しく説明するなら。これまで国造として地方豪族が統治していたのを。国司が統治する形に変わり。前回に語った庚寅年籍(こういんねんじゃく)によって戸籍を6年ごとに作られ。作られた戸籍を元に、口分田と呼ばれる土地を配布し。其の土地を耕して得た米を税として回収する為に国司や郡司、里長が造られたのです」
「税を回収するための、戸籍ってことか」
「そういう事です。因みに税の種類としましては、民衆は祖と呼ばれる収穫した3%の稲を収める税が課せられており。また、調と呼ばれる布や特産物を渡す税。そして、庸(よう)と呼ばれる。都で働くか、それとも布を治めるかを選べる。ハッピー庸セットもありました」
「ハッピーじゃないよ。絶対にハッピーじゃないセットだよ!」
「稲を渡す税。祖は地方にいる国司に渡せば良いのですが。調と庸は京都まで持って行く必要がありました。地方の人々が皆、京まで持って行くことは現実的ではなく。郡司や村の有力者によって代表者が選ばれ。其の代表者が村全員分の調や庸を持って行く。運脚と呼ばれる義務を負った人もいました。運脚に選ばれた者は労役として庸が免れる代わりに、四十から五十キロの献上物を背負って京まで歩くことが求められており、とてもとても苦労したと言われています」
「でも、税が免除されるだろう。だったら、喜んで運脚を受ける奴もいると思うんだがな」
「税は免除されますが、食料は自己負担です。なんとか京まで辿り着いたは良いものの。帰りに食糧が尽き。道半ばで餓死したり、疲労と負傷により歩けなくなって力尽き。動けないまま肉食動物の餌となったり、実際は酷い有様だったようですよ」
「…………」
「また、祖が3%と。数字上は軽く見えますが。此の時代の農耕j技術は未発達で。与えられた土地で豊作になっても、成人男性の10ヶ月分しか稲が取れず。其処から3%持って行かれると、生きるか死ぬかの状況に陥ります。その為、国家が稲を貸し付ける出挙(すいこ)が始まるのですが。国司や郡司はこの制度に目を付け。強引に農民に稲を貸し与え。5割から9割と言った法外の利息を取り始めます」
「やってること未開国家じゃねぇか!」
「まぁ、そんな感じで地方は悲鳴を上げていましたが。中央では藤原不比等が栄華を極めるために二つの制度を作ります。一つが官位相当制(かんいそうとうのせい)。そして、もう一つが蔭位の制(おんいのせい)です」
「ほうほう」
「官位相当の制によって位階(貴族のランク)ごとに付ける役職が定められ。位階には位封(いふ)と呼ばれる給与が与えられ。官職には職封(しきふ)と呼ばれる給与が与えられました。位封、職封を合わせて封戸(ふこ)と呼び。封戸の戸は農民の一世帯を指しており。臨時最高職の太政大臣だと。位封が300戸。職封が3000戸。合わせて3300戸が封戸として支給されました。ちょっとわかりにくいと思うので、簡潔に言いますけど。一番高い職に就くと3300世帯の税を自分のモノに出来たのです」
「下が悲鳴を上げてんのにそんなに一人が収奪すんのかよ」
「貴族特権として蔭位の制もありますよ。貴族の子供だったら。子供も貴族の待遇を与えるとなってますが。これには裏がありまして。此の時代に高位な位階に存在する貴族は藤原氏しかありませんでした。……と言うのも、天武天皇が特定の一族に権力が握られることを恐れ、高い位階を授けなかったからです。しかし、藤原不比等が父の中臣鎌足は死に際に天智天皇から臨時最高職の太政大臣を授かったと喧伝した結果。他の貴族、皇族が位階を抑えられる中、藤原氏だけが高い位階を生まれ流れ引き継げ。藤原氏主導の体制が構築されることになります」
「わっかんねぇな。どうして、藤原氏の横暴を天皇は止めなかったんだ」
「この時代の天皇は天武天皇の妻、持統天皇でして。前に言ったとおり、武力簒奪したことに負い目を感じており。自分の子や、孫を天皇にするため。確実に補佐してくれる家臣を欲したからです。其の結果、藤原氏が藤のように天皇家に巻き付き、養分を吸って成長していきます。……藤原氏とは言い得て妙ですよね。本当に藤のように成長していきましたから」
「…………」
「まぁ、そんな感じで今回は終わりにしましょうか。次回からは奈良時代に入っていきますよ。それではまったねぇ」